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みちくさ

お日さまごきげんよろしく、暑くもなく寒くもない、どこまでも青い空に落ち葉がはらはらと舞う完璧な晩秋の一日は、みちくさ日和。
都電荒川線の音を遠くに近くに聞きながら古本をあさる。
http://kmstreet.exblog.jp/i0

みちくさ2  みちくさ1

釣果は田村隆一と面白半分。

銀杏の葉と匂いと人が充満する鬼子母神様の境内。
子供が猛スピードで紅い鳥居をくぐり抜けて行った。ピント間に合わず。

みちくさ3

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異郷より

カリフォルニアに行ったことはないけれど
カリフォルニアに憧れるわけではないけれど
澄んだ声がカリフォルニアの明るく青い空に広がる様を思い浮かべて
なぜかいつも涙する。





California / Joni Mitchell(BBC Live, 1970)

少年探偵団復活

乱歩の「少年探偵」シリーズが懐かしの装丁で文庫化。
やっぱりこの絵じゃないと!
文庫ってところがまた大人心をくすぐりますね。
ポプラ社の少年探偵やルパンで育った本好きの少年少女も、今や住宅事情に悩むお年頃。
シリーズものがずらっと、しかも背表紙がきちんと見える状態で並んだ本棚なんて夢のよう。
わたしもハードカバーを少しずつ集めているんですが、こっちに乗り換えようかしらん。

小学生の頃、近所に住む同級生のマスチンがこのシリーズを全巻持っているのがとても羨ましかったのを思い出しました。
いつも3冊4冊とまとめ借りして、図書館代わりに使っていたわたくし。
まだ大事に持ってるのかな。子供が読んだりしてるのかな。

怪人二十面相―少年探偵 (ポプラ文庫クラシック)怪人二十面相―少年探偵 (ポプラ文庫クラシック)
(2008/11)
江戸川 乱歩



通勤のお伴は「しゃばけ」シリーズ第五弾。
若旦那と彼を取り巻く妖たちのやり取りが相変わらず楽しい。
でもこのシリーズを読むといつも感じる物足りなさは、出てくる人間(&妖)がみな“いい人”だからかも。
思考回路が違っていたり弱さがあったりても、根っからの悪人(&妖)はいない。
それが物足りないなんて、汚れちまった悲しみになすところもなく日は暮れる、てか。

うそうそ (新潮文庫 は 37-5) (新潮文庫 は 37-5)うそうそ (新潮文庫 は 37-5) (新潮文庫 は 37-5)
(2008/11/27)
畠中 恵


無言劇

ヴィルヘルム・ハンマースホイ展 ―静かなる詩情―

*国立西洋美術館 
 2008年9月30日(火)~12月7日(日)
 

ハンマースホイ展


大琳派展の帰り、西洋美術館の前に設えられた大きな看板に目がとまりました。
左脇にお盆を抱えるようにして佇む黒い服の女性。
ほんのちょっと右に傾げた首が、なにか物言いたげな風情。
気になる。後ろ姿コレクターとしては非常に気になる。。。これは誰。
本日、ようやくその正体を確かめに行ってきました。

19世紀末のデンマークを代表する画家、ヴィルヘルム・ハンマースホイ。
日本ではまだほとんど知られておらず、本格的な展覧会は初めてだそうです。
灰色に広がる空、女性の後ろ姿、人のいる室内、人のいない室内…。
若くして完成した美意識は、終生作品を厚く覆っています。

わたしを誘ったのはハンマースホイの妻イーダの後ろ姿。
ハンマースホイは同じ部屋、同じ空間で、少しずつ構図を変え、ポーズを変え、繰り返し繰り返し執拗な程に妻の後ろ姿を描いています。
これらの作品群を眺めているうちに、彼らが暮らしたストランゲーゼ30番地を舞台に目の前で無言劇が演じられているような奇妙な感覚にとらわれていきます。
しかも唯一人の出演者は観客に背を向け、振り向くことはないのです。

また同じように度々描かれた誰もいない室内。そこには静かな日射しが差し込んでいます。
デンマークの光はこんなに薄いのでしょうか。それとも、ハンマースホイの目にはこう映っていたのでしょうか。
イーダの後ろ姿を見続けていたせいか、がらんとした誰もいない部屋なのに、ついさっきまで誰かがいたような気配さえ感じてしまうのが不思議。

ストランゲーゼ30番地を3Dで再現するという面白い企画もありました。
公式サイトでも公開中なので是非ご覧ください。おすすめです。
http://www.shizukanaheya.com/room/index.html

後ろ姿コレクションが一気に増殖。

ハンマースホイ01

遊ぶものは神である

香港に旅行したときのこと。
街のハンコ屋さんで印鑑を作ってもらおうと自分の名前を紙に書いて差し出したら、その中の一字を指差し「こんな字は知らない」と言われた。
それまで漢字は全て中国伝来だと思っていたので、香港の、それも毎日あらゆる漢字を扱っているであろうハンコ屋さんに「知らない」と言われたのは、ちょっとした衝撃だった。
わたしの名前の一字は中国語にはないんだと。
そこで漢字の由来や成り立ちに興味を持って調べていれば、今頃立派な漢字博士になっていたかも>無理です

今年の春、NHK教育テレビ「私のこだわり人物伝」のテキストで、漢字研究に一生を捧げた白川静を知った。
色川武大目当てで買ったら、前の月に取り上げられていた白川静がもれなくついてきたのだ。
ぱらぱらと頁を繰るだけのつもりだったのに、読み始めた途端、白川学の裡へ引き込まれた。

例えば「サイ」の発見。「言」という文字の下の「口」という形は口ではなく、祝詞や呪文のような大事な言葉、言霊を入れておく容器であり、これを総称して「サイ」という。このサイが動きだし、告、吾、舌、舎、害、割、占、吉、古、召、各、客、若と、呪能的な文字を次々と産んでいったというのである。

例えば「道」という字。異族の土地や外界に通じる道は邪悪な霊に出会う危険があるので。異族の人の首を刎ねてかかげ、その呪力で祓い清め進んだ。そのため「道」には「首」が入っているというのである。

また「漢字は国字である」という主張。日本人は漢字を中国語としてそのまま受け入れることをせず、日本語に取り込み従属させ消化していった。更には遊びの心を持って漢字を使い、事実を表現するだけでなく、その余韻を楽しむまでにいたったというのである。

慣れ親しんだ文字がなんと新鮮な輝きを持って語りかけてくることよ。
そしてその漢字の語りかけを、96歳で生涯を閉じるまで一人探求し続けた白川氏の静かなる知のたぎりへの驚き。
放送がすでに終了していたのが心残りだった。

最近、この放送を元にした新書が発売された。ありそうでなかった白川静への初の入門書。
白川氏が一番好きだったのは「遊」という字だったそうだ。今日の日記タイトル「遊ぶものは神である」も白川氏の言葉。

そうそう。知らない字だというのを無理に彫ってもらったハンコは、なんだか微妙なバランスの出来でした(笑


白川静 漢字の世界観 (平凡社新書 440)白川静 漢字の世界観 (平凡社新書 440)
(2008/11/15)
松岡 正剛



初物

ロッシーニ・オペラ・フェスティバル「マホメット2世」

*Bunkamura オーチャードホール  18:00~

お誘いいただいて初めてのオペラ。
初めてというのは入り口が肝腎で、敷居が高いんじゃないかとか、ドアをぴしゃっと閉められるんじゃないかとか余計な心配をしがちなので、敢えてまっさらさらの状態で臨んでみる。
これがよかった。
先日のプロレスといい、人間って未知のものに出会うと自分の知っているものに引き寄せて考えるのね。
オペラと歌舞伎って意外と共通点が多いというのが第一印象。
生演奏と芝居の融合やメインキャストの際立たせ方、物語の進み具合など。
装飾的な歌唱は義太夫にも通じそうだし、アリアはさしずめ決め台詞。

では違いはというと、歌を歌う、歌わないというあまりにも当然すぎる違いにあらためて気付く。
言葉も感情も全て歌で表され、また歌うことでそれ以外の肉体的表現がかなり制限されるし、オペラって「歌」なんだなあと今さらの感慨。
あと、オペラにも花道やせり出しや回り舞台があればもっと面白いのになんて不埒な想像も(わたしが無知なだけでそういう舞台もあるのかもしれないけど)。

とても楽しい経験に恵まれて感謝。
機会があったらまた是非観たいです>Jさんヨロシク。

終演後、ちょっと癖のあるオーストラリアワインと共にカンガルー食べ比べ。旨。
これも初めての経験。ついついワインがすすんで深夜にぴょこたんと帰宅。

悪意の不在

今回の思想対決はミシェル・フーコー。
前作のハイデッガーに比べれば対決というほどではないにしても、そこへギリシャ神話や高名な推理小説やHIVをモデルとするウイルスや、あれやこれやが錯綜し複雑極まりない文様を描いているようで実に単純明快な図だったり。

殺意なき犯人。
悪意なき悪のたちの悪さは言うまでもないが、自分に責任のないことまで背負い込んで苦しむのはさらなる欺瞞だ。
苦しむことで己の責任感や倫理感を確認しさらに自分を追い詰めるだけ。
しかし人は無関係な点と点を結びつけ、意味あるものにしようとする。
悪いのはその意志か、その結果か。
では、悪意ある悪は?

オイディプス症候群 上 (1) (光文社文庫 か 30-3)オイディプス症候群 上 (1) (光文社文庫 か 30-3)
(2008/11/11)
笠井 潔

オイディプス症候群 下 (3) (光文社文庫 か 30-4)オイディプス症候群 下 (3) (光文社文庫 か 30-4)
(2008/11/11)
笠井 潔



別場所に付けていた読書記録が電脳空間の彼方に消えてしまいました...。
もう全部ここに統一!(やけくそ)

I want a little sugar in my bowl

ニーナ・シモンのとっても思わせぶり&直接的な歌。
矛盾しているようだけど。
この曲を男性から男性、女性から女性へ向けるとどう感じるんだろうなんてことを考えたのは、今読んでいる本のせいかも。

ボーイ・ジョージのカバーを発見。
崩れっぷりがいい。





I want a little sugar in my bowl / Boy George(Live at Shaw Theatre, 2008)

めりやす

三味線は三下りのお稽古に突入。
三の糸を一音下げただけで、勝手が違って左手が棹をいったりきたり。

めりやす「宵は待ち」を浚う。
宵から男を待ちわび恨み言、いざ逢うとすぐに別れの朝。
暁の鶏の声を、明の鐘の音を、男に聞かせないよう耳を手で覆ってしまうという情味こもった唄。
艶っぽく唄いたいのに、音が低くて低くてとても声が出ない。色気ゼロです。

めりやすというのは、歌舞伎でしんみりとした台詞のない心理描写的な場面で演奏される曲だそうだ。女が髪を梳いたり、手紙を書いたり、心中したりするような。
語源は色々あるらしいが、役者の演技に合わせて演奏の長さを調節することから、舶来の伸び縮みするメリヤスになぞらえたという説が面白い。

めりやすは女の愚痴に節をつけ

江戸のお人はうまいことをいう。

ダナエ

「セックスより完全なものといったら妊娠か死ぐらいだわね」
「―いい勘だ」
                               ―『青また青』より


大琳派展に行って以来、クリムトが観たくて仕方がない。
塔に幽閉され胎児のように眠るダナエに黄金の雨が降りかかる。

ダナエ

ダナエはこの時を待っていたのだろうか。
わたしは何を待っているのだろうか。

プロレスの見方

全日本プロレス「2008 プロレスLOVE in 両国 Vol.6」

*両国国技館 16:00~

今年2回目のプロレス観戦。
「プロレス」というカテゴリを作るかどうか悩んで結局作らなかった前回と違って、今回は何の迷いもなく「落語・演芸」に入れてしまいます。
試合を観ながら、落語界だと今こういう場面、この人は噺家だとこういうポジション的な置き換えを頭の中で繰り広げていました。
なぜだろう。
最近落語を聞いてないせいでしょうか。身体が落語を欲しているのでしょうか。

以前、夕刊フジ平成特選寄席で、前3人の出演者が手堅い古典でお客を楽しませ会場を盛り上げたところへトリで登場した喬太郎が、円丈作「ぺたりこん」で観客のふくらんだ気持ちに冷や水をぶっかける光景にさすが喬太郎と喝采を送ったのですが、今日の同行者二人にはその気持ちがわかってもらえる気がします。

ちゃんこを突つきつつ。

19


ふたりの人間が今のままでいたいなどと思うのは、逆に何かの節目にさしかかった証拠なんじゃないだろうか。

 ―『倒錯の舞踏』ローレンス・ブロック 田口俊樹訳

 
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