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日曜日の探しもの

昨日「土曜日の絵本」について書いたら、いろいろ呼び起こされたのでつづき。

小学生の頃、うちではドラえもんとサザエさん以外の漫画を買ってもらえなかった。それも一年に一冊とかその程度。漫画を読みたくなると隣の家に上がり込み、中学生のおにいちゃんの「がきデカ」だの「マカロニほうれん荘」だの「ブラックジャック」だの「エコエコアザラク」だのを読みあさった。「750ライダー」はつまらなかった。

そんな中で出会った「土曜日の絵本」。なんて可愛らしい絵と色使い。こまわり君とは大違い。
いつも男の子のような格好ばかりしているミクちゃんがリボンのついた赤いつやつやした革靴に心奪われる話があるが、そのときのミクちゃんと同じようにわたしの中の女の子の部分が共鳴したんだろう。
そして、子供は純真無垢なものという大人の勝手な押し付けでなく、他人と張り合ったり、傷付けたり、ずるをしたり、そういう部分も含めて当時の自分と同年代の子供たちの内面が描かれているところに惹きつけられたんだろうと、今になって思う。
確か、学校に誰かが持ってきていたのを借りて休み時間(或いは授業中)に一度読んだきりなのに、いつまでも心に残る出会いとなったのだった。

中学生になり小遣いをもらうようになった。自分のお金で漫画が買えると喜び勇んで通学路にある本屋に行ったが、「土曜日の絵本」は置いていなかった。乏しい小遣いをやりくりして、「野葡萄」や「りんご日記」など他の川崎苑子作品を一冊ずつ揃えるなか、全6巻の「土曜日の絵本」だけはわたしの手元にこなかった。

確か、中学を卒業して高校に入るまでの、どっちつかずの手持ち無沙汰な春。いや、高一から高二になるときだったか。突然思い立ち、電話帳で市内にある本屋の住所を調べ、何軒もの本屋を回った。あらかじめ電話して聞いてみるという知恵はなかったのか。とにかく行かねばという衝動にかられていたのか。古ぼけた青い自転車をこいでこいでこいで、自宅から遠く離れた小さな本屋の薄暗い棚の片隅でようやく1冊見つけたときは、飛び上がるくらいうれしかった。

どうにかこうにか1巻から4巻までは手に入れたが、どうしても5巻と6巻が見つからない。本屋に注文すれば取り寄せてくれると聞き、近所の本屋で注文票に題名、著者名、出版社名、連絡先などを記入して店のおじさんに渡した。わくわくしながら待った。待った。待った。だが、何日経っても届きましたよという連絡がこない。しびれを切らして本屋へ行き尋ねると、ああこれ絶版になってるようですねというそっけない答えが返ってきた。絶版という言葉を初めて知った。絶版の絶の字に、なにか断ち切られたような気がした。


あれから20年。いまだに5巻と6巻を探し続けている。文庫になって販売されているのは知っているが、わたしが欲しいのは金色に縁取られたマーガレットコミックスの「土曜日の絵本」5巻と6巻なのだ。
いつか巡り合うことを信じて、今日も古本屋をのぞく。見つからないまま、今日も1巻から4巻までを繰り返し繰り返し読んでいる。

土曜日の絵本

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土曜日の絵本

川崎苑子の「土曜日の絵本」という漫画が今も昔も大好きで、時々とりだしてはぱらぱら頁をめくっている。
がさつで喧嘩っ早いけれど根は心優しいミクちゃん、おしゃれでお調子者のミチルくん、しとやかな外見に芯の強さを秘めたかすみちゃん、のんびりしつつも頭の良さはぴかいちのへいちゃん。
四人の子供たちの物語を読み返すたびに、自分が子供のころの小さなできごとをひとつふたつと思い出す。

幼稚園へ行く途中、近所の家の庭からよくダックスフンドが飛び出してきて、ついつい遊んでは遅刻したこと。
青いワーゲンを見るといいことがある、黄色いワーゲンは要注意、赤いワーゲンだと悪いことが起きる、とワーゲンを見ては一喜一憂したこと。
堤防に生えている蛇いちごを恐る恐る口にしたこと。
お遊戯会の劇で主役のミツバチに選ばれたものの、黄色と黒のダンダラ模様の衣装が大いに不満、お花やちょうちょ役のひらひらした衣装がうらやましかったこと。
自転車でやってきた金髪の外国人に手を振ると、太陽のような笑顔で手を振りかえしてくれたこと。
友達に宝物(がらくた)の隠し場所を教えたら、その子が自分の大発見のように他の友達へ隠し場所を触れ回ってしまったこと。
冬の寒い朝、セキセイインコのチッチとサリーが籠の底で冷たくなっていたこと。
給食のおかずに付いていたソースが隣の子の白いブラウスに飛び散ってしまったこと。
近所の子供たちにヤマアラシと呼ばれていた船乗りのにいちゃんが、陸に戻るといつもハーシーのキスチョコをお土産にくれたこと。
おしりがいっぱい汗かいたと思いこんでいたのが、実はおねしょだったこと。
一面薄紫色の蓮華畑で転げまわり、怪我をすればよもぎを揉んで傷口に押しあてたこと。

大きな事件はなにもないけれど、平々凡々とした日常のその中で、楽しいことも悲しいことも何もかもが初めてで何もかもが冒険だった。そんな子供時代へつながる扉が、そうっと開く気がする。

「土曜日の絵本」という題名も好きだ。
半ドンが当たり前だったあのころ、土曜の午後は今よりもっときらきら輝いていた。
今よりもっと特別な時間だった。

こんな夢をみない

深く暗いところへ沈んでいた意識が次第にぷかりぷかり浮かびくる短い間の夢が、愛おしくてたまらない。わたしというちっぽけな人間のちっぽけな知覚からイメージがはみ出し、跋扈し、変容し、一瞬たりともとどまってくれず、贅沢にも観客は自分一人のみ。
なぜこんな夢を見ているのかはわからない。でもこのまま夢を見続けることはできないということはわかっている。だから、睫毛をもたげた途端に逃げてゆく夢のしっぽをつかまえて、壊れてゆく夢の欠片を拾いあつめて、言葉に変えようとする。言葉に変えて記憶に刻もうとする。それが難しい、難しい、難しい。

今朝の覚醒直前の夢。いや、夢はかき消え、残された言葉たち。

十字路、小学校の机、即興劇、電線に薄桃色のストールをかけて首吊りの練習をする男、地面を離れない足、おかっぱ、人に囲まれる不安、好きなプロレスラーを訊かれ長州力と答えた…

ほんとうにこんな夢だったろうか。なにかが足りないし、なにかが余計だし、とにかく違う違う、こんな夢じゃあなかった。これは言葉がつくった夢のまがいもの。

それでも捨てることもできず、今朝の夢というラベルをつけて引き出しにしまい、時々取り出しては、やっぱりこんな夢じゃあなかったと首を傾げるばかり。
明日の夢は逃がすまいぞと思うばかり。

しっぽ

本とツイッターとわたし

昨夜のこと。仕事の合間に電話を一本とぅるるるると古書ほうろうへ。
「ツイッターを見てお電話したのですが、THE ART TIMESの平岡正明特集号と、sumusの晶文社特集号の在庫はありますか。」
まだあるとの返事にあわてて帰り支度をすませ、自宅とは反対方向に向かう地下鉄に乗り込む。一時間後にはお目当てとともに文庫を2冊、久原大河さん画のポスターをかかえて、ほくほく顔で再び地下鉄へ。

自分の趣味嗜好に合う話題も、全く興味のない事柄も、世間の動きも、ツイッターの流れから知る今日この頃。THE ART TIMESなんて数日前まで存在すら知らなかったのに、今は手元で萬里の十九番の写真を眺めている。

古書ほうろうのご近所、往来堂書店での猫本フェアはツイッター発。
それにしても早かった。早川書房の「「人生の艱難辛苦から逃れる方法はふたつある。音楽と猫だ」アルベルト・シュヴァイツァー。」という呟きを発端に、出版各社が我が社の猫本を連投し、本好きたちがおすすめの猫本を次々と掲げ、まとめページができ、猫本を揃えた本屋が実際にあったらいいのにという声に応えて、往来堂書店が「猫本フェア、やります!」と名乗りをあげるまで、わずか二日。それから十日あまりで実現してしまうとは。リアルタイムでやり取りを眺めながらわくわく。

そして明日2月11日から始まる羽鳥書店まつり。昨年誕生した新しい出版社、羽鳥書店の羽鳥さんの蔵書を放出する青空古本市、これもツイッターで知りました。雪にならないといいけれど。


THE ART TIMES Vol.5 http://homepage2.nifty.com/deracine/misc/at/05.htm
sumus 13 http://www.mizunowa.com/book/book-shousai/sumus_13.html
twitter猫本フェア http://togetter.com/li/3614
羽鳥書店まつり http://d.hatena.ne.jp/koshohoro/20100112/p1


晶文社の犀のマークは社長のおしりから生まれたものだそうですよ。

Going West




NZ Book Council - Going West
 
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