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遊ぶものは神である

香港に旅行したときのこと。
街のハンコ屋さんで印鑑を作ってもらおうと自分の名前を紙に書いて差し出したら、その中の一字を指差し「こんな字は知らない」と言われた。
それまで漢字は全て中国伝来だと思っていたので、香港の、それも毎日あらゆる漢字を扱っているであろうハンコ屋さんに「知らない」と言われたのは、ちょっとした衝撃だった。
わたしの名前の一字は中国語にはないんだと。
そこで漢字の由来や成り立ちに興味を持って調べていれば、今頃立派な漢字博士になっていたかも>無理です

今年の春、NHK教育テレビ「私のこだわり人物伝」のテキストで、漢字研究に一生を捧げた白川静を知った。
色川武大目当てで買ったら、前の月に取り上げられていた白川静がもれなくついてきたのだ。
ぱらぱらと頁を繰るだけのつもりだったのに、読み始めた途端、白川学の裡へ引き込まれた。

例えば「サイ」の発見。「言」という文字の下の「口」という形は口ではなく、祝詞や呪文のような大事な言葉、言霊を入れておく容器であり、これを総称して「サイ」という。このサイが動きだし、告、吾、舌、舎、害、割、占、吉、古、召、各、客、若と、呪能的な文字を次々と産んでいったというのである。

例えば「道」という字。異族の土地や外界に通じる道は邪悪な霊に出会う危険があるので。異族の人の首を刎ねてかかげ、その呪力で祓い清め進んだ。そのため「道」には「首」が入っているというのである。

また「漢字は国字である」という主張。日本人は漢字を中国語としてそのまま受け入れることをせず、日本語に取り込み従属させ消化していった。更には遊びの心を持って漢字を使い、事実を表現するだけでなく、その余韻を楽しむまでにいたったというのである。

慣れ親しんだ文字がなんと新鮮な輝きを持って語りかけてくることよ。
そしてその漢字の語りかけを、96歳で生涯を閉じるまで一人探求し続けた白川氏の静かなる知のたぎりへの驚き。
放送がすでに終了していたのが心残りだった。

最近、この放送を元にした新書が発売された。ありそうでなかった白川静への初の入門書。
白川氏が一番好きだったのは「遊」という字だったそうだ。今日の日記タイトル「遊ぶものは神である」も白川氏の言葉。

そうそう。知らない字だというのを無理に彫ってもらったハンコは、なんだか微妙なバランスの出来でした(笑


白川静 漢字の世界観 (平凡社新書 440)白川静 漢字の世界観 (平凡社新書 440)
(2008/11/15)
松岡 正剛



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