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幻影の書

人の世はたくさんの偶然に満ち満ちていて複雑に絡み合っている。
その偶然に意味を見出そうとするのが人間の習い性であり、時にそれを運命と呼ぶ。
人生に“もしも”はない。
もしもあの時こうしていれば。もしもあの時こうしていなければ。
変えようのない過去を嘆いても無為なことだ。しかし後悔とはそういうものだ。

「人は追い詰められて初めて本当に生きはじめる」
これは二人の追い詰められた男の喪失と再生の物語。妻と二人の幼い息子を飛行機事故でいっぺんに失ったデイヴィッド・ジンマー。ある出来事をきっかけにたった12本の無声映画を残して失踪したヘクター・マン。
二人の男の人生を結ぶのは顔にあざのある女性、アルマ。彼女もまた、ヘクターの生を追い求めることで人生を取り戻し、デイヴィッドを死の淵から引き戻す。

ヘクターの贖罪の旅は、それだけで一本の映画を見ているようだ。その末に作られた誰にも見せないための映画と、その映画が引き起こす更なる悲劇があまりに胸に迫る。
己にとって真っ直ぐな思いが、周りの人間にとっても同じだとは限らない。それが家族であれ、愛する人であれ。
先程、二人の男の物語と書いたが、ここではデイヴィッドは最後まで傍観者でしかなかった。

今無性に、アルマに大きな影響を与えたホーソーンの「あざ」を読みたい。ヘクターが撮った「マーティン・フロストの内なる生」を見たい。まだ読まれていない物語を読みたい。灰に帰したはずの映画を見たい。
デイヴィッドが最後に抱いた希望を、わたしも一緒に抱くのだ。



幻影の書幻影の書
(2008/10/31)
ポール・オースター



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