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世界侵略進行中

冒頭の「きのこ文学宣言」からして愉快だ。
きのこという不思議な生き物に魅了された著者は、、きのこの本質に迫ろうとするうちに、きのこのもつ不可視性、中間性を文学と結びつけ、「文学はきのこである。あるいは、きのこは文学である」というなんとも奇妙で明快な結論を導きだす。

そして、書店で図書館でせっせときのこ狩りをし集めた古今東西のきのこ文学を「きのこ文学大全」として世に出した。
採集されたきのこ文学は、執筆者の名前を見ただけでも錚々たる顔ぶれだ。泉鏡花、澁澤龍彦、正岡子規、筒井康隆、中井英夫、三島由紀夫、南方熊楠、宮澤賢治、山田風太郎、夢野久作、エドガー・アラン・ポオ、ルイス・キャロル、ジュール・ヴェルヌ、H・G・ウェルズ、イタロ・カルヴィーノ、ウラジーミル・ナボコフ、パトリシア・ハイスミスなど、ほんの一部。

きのこ狩りは文学にとどまらない。
男おいどんの「サルマタケ」がある。ジョン・ケージの「きのこ音楽」がある。狂言「くさびら」がある。マヤ文明の遺物「きのこ石」がある。「国際きのこ会館」がある。
大槻ケンヂは「キノコパワー」と歌い、チャイコフスキーは自分が見つけたヤマドリタケを誰にも採られまいときのこの群生の上に覆い被さり「おれのものだ、全部おれのものだ!」と叫ぶ。フロイトもチャイコフスキーと同類だったらしい。

様々なジャンルのきのこ文学を紹介しながら、著者のきのこへの情熱はあらゆる場面で押さえがたくほとばしる。
映画「マタンゴ」でジャングルに雨が降るときのこがスローモーションで伸びていく描写にうっとりし、加賀乙彦の短編に出てくるきのこ狂いが嵩じて遂には一万点以上のきのこの標本や研究道具とともに精神病院の患者として暮らすようになる大学教授を、世界中のきのこ狂いが夢見る「きのこ天国」を手に入れたと羨み、村上春樹の作品はきのこが登場するものの具体的な記述が全くなく“村上春樹は「きのこ文学者」に非ず”と一刀両断する。

とにかく、分け入っても分け入ってもきのこ。
恐るべききのこ文学の山で読者が迷わぬよう、初心者向けは1きのこ���̂��B、中級者向けは2きのこ���̂��B���̂��B、上級者向けは3きのこ���̂��B���̂��B���̂��B、危ない項目は毒きのこ��のガイド付き。
例えばムーミン谷のきのこは���̂��Bで、古代インドの聖典「リグ・ヴェーダ」に登場するソーマという飲み物はベニテングダケから抽出したものだと主張するアメリカの著名な銀行家にして菌類学者ワッソンがベニテングダケの絞り汁を実際に飲んでみる人体実験の逸話は���̂��B���̂��B���̂��B��だ。

あとがきで、きのこ狩りはまだまだ続けると言い放つ著者の所業が、単なるきのこ狂いの仕業と片付けられようか。
間違いなく著者の頭はきのこの胞子に侵され、いまやきのこの意のままに操られているのだ。
そしてこの本を読んだ読者の頭にも否応無く胞子が侵入し、菌糸をひろげることだろう。
きのこが世界を取る日も近い。


きのこ文学大全 (平凡社新書)きのこ文学大全 (平凡社新書)
(2008/12)
飯沢 耕太郎



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きのこ文学大全 / 飯沢耕太郎 [書評]

きのこをテーマにした古今東西の文学作品を紹介した好著。冒頭の「きのこ文学宣言」で飯沢は云う。文学はきのこである。あるいは、きのこは文学である。ああ、こんなにも端的で明解な文学の定義がかつてあっただろうか。
 
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