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当マイクロフォン

いつも食卓の側にラジオがあった。
母が独身時代に月賦で買ったという古いトランジスターラジオ。ダイヤルは常にNHKラジオ第1放送に合わせてあった。

朝目覚めるとすでにラジオは鳴っていて、ニュースを聞きながらごはんをかきこみ、天気予報だから今何分、みんなの歌だからそろそろ学校に行かなきゃと時計代わり。

夜は6時半か7時くらいから母と妹と三人で夕飯。仕事の忙しい父が食卓を一緒に囲むことは滅多になかった。夕飯のときはラジオはついていない。食べ終わってしばらくテレビを見ながらだらだらと過ごし、そのうち早く宿題済ませんねと子供部屋に追いやられる。
そうして静かになった食卓で、母は再びラジオのスイッチをひねり、洗い物をしたり家計簿を付けたりしながら、ラジオに耳を傾けるのだ。

時には母といっしょに夜のラジオを聞いていたのか、狭い家のこと、ラジオの音が子供部屋まで届いていたのか定かでないが、いまでも鮮やかに耳に甦る声がある。

 歌に思い出が寄り添い、
 思い出に歌は語りかけ、
 そのようにして歳月は静かに流れていきます。
 皆さんこんばんは。
 にっぽんのメロディー、中西龍(りょう)でございます。

それは名調子というよりも不思議な、そう不思議な節回しで、夕焼け小焼けの赤とんぼの曲に続いてこのナレーションが流れてくると、子供心になんともいえない淋しさを感じたものだ。日曜の夕方とか、夏休みの終わりとか、過ぎ去っていく楽しい時間を惜しむような淋しさに似ていたように思う。

中学に入り、自分のラジカセを買ってもらい、当然の如くながら族。わたしのラジカセから流れるのは一局しかなかった民放AMのMRTラジオかNHKのFM。朝は相変わらず母のラジオを時計代わりにしていたが、わたしの生活から「にっぽんのメロディー」は退場した。
やがて大学に合格し、実家を離れ、母のラジオを聞くこともなくなったある日、テレビから懐かしい声が聞こえてきた。

 何時の世にも悪は絶えない。
 その頃、徳川幕府は火付盗賊改方という特別警察を設けていた。
 凶悪な賊の群を容赦無く取り締まるためである。
 独自の機動性を与えられた、その火付盗賊改方の長官こそが長谷川平蔵、
 人呼んで鬼の平蔵である。

中西龍だ。中西龍の節回しだ。
元々時代劇は大好きで鬼平もすぐに毎週のお楽しみになった。ドラマそのものも滅法面白かったが、独特の余韻を残す中西龍のナレーションを得て物語が膨らみを増したように思う。中西龍が降板した後の鬼平はどこか物足りなく、大袈裟ではなく違う番組を観ているような気さえしたものだ。


“当マイクロフォン”とは「にっぽんのメロディー」で中西龍が使った一人称。
ラジオの前に座る聴き手ひとりひとりに届くような語りの向こうに、こんな人生があったのか。鼻の奥がつんとなる。男ってずるい生き物だなとも思う。
茫々哀憐―色紙への揮毫を求められると好んでこう記したという。

1998年秋、脳梗塞にて永眠。

作中の中西龍の言葉や自作の詩を、中西龍の声で読んでいた。
声は記憶にしっかり刻み込まれているのに、中西龍の姿を一度も見たことがないことにふと気付く。
表紙に描かれた顔をまじまじと見つめたがどうにも声と結びつかず、表紙を隠すように本をふせた。


当マイクロフォン当マイクロフォン
(2008/06/28)
三田 完



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