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サラサーテの聲

古風な彈き方でチゴイネルワ゛イゼンが進んで行つた。はつとした氣配で、サラサーテの聲がいつもの調子より強く、小さな丸い物を續け様に潰してゐる様に何か云ひ出したと思ふと、「いえ、いえ」とおふさが云つた。その解らない言葉を拒む様な風に中腰になつた。
「違ひます」と云ひ切つて目の色を散らし、「きみちやん、お出で。早く、ああ、幼稚園に行つて、ゐないんですわ」と口走りながら、顔に前掛けをあてて泣き出した。

                       ―内田百間「サラサーテの盤」


このお話の季節は定かではないものの、不安で不穏で不透明な空気感のせいか、春先になると読み返したくなるのです。
桜が人の心を狂わすように、解らない言葉は人の心をかき乱し。
解ってしまえば、幽霊の正体みたりとなるのでしょう。謎は永遠に謎のままに。

サラサーテが「はつとした氣配で」「小さな丸い物を續け様に潰してゐる様に何か云ひ出」すのは、3分25秒あたり。





Comment

No title

鈴木清順監督のツィゴイネルワイゼン思い出します

No title

『冥途』から『旅順入城式』さらに「鶴」や「菊の雨」を通して読んでいきますと、百鬼園先生のイメージの変遷がうかがえます。
初期の語らずに不安を喚起する手法から、次第に描写に力を注いで景色を饒舌にすることで、居心地の悪さをかもし出すようになっていき、その結晶が「サラサーテの盤」という気がします。
描写が不安の原点だとすれば、彩りの鮮やかな時候ほど、無気味さをかきたてることになり、冬と春の気配の混じるこの季節に思い出されるという感受性には、思わず「鋭い!」と唸らされます。

Re: No title

>風太さん

ああ。
映画の印象が強くて、桜の季節に思い出すのかもしれません。

「あなた、わたしの骨が好きなんでしょう。
 わたしの身体を焼いたら、透き通った桜の花びらみたいな骨が取れると思っているんでしょう」

この台詞にぞくぞくしました。そんな骨になりたいと思いました。


>がいこつさん

> 初期の語らずに不安を喚起する手法から、次第に描写に力を注いで景色を饒舌にすることで、居心地の悪さをかもし出すようになっていき、その結晶が「サラサーテの盤」という気がします。

なるほど。これまで書かれた年代など考えずに読み散らかしていましたので、がいこつさんの
ご指摘に目から鱗の思いです。
皮膚の下が蠢くようなざわざわした気持ち悪さは、詳らかな描写からきているのですね。
今、目から鱗と書きましたが、百鬼園先生なら目から鱗が落ちる瞬間を、生々しく一遍のお話に
仕立ててくれそうです。

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