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パスティーシュ

パスティスとパスティーシュは語源が同じなんだそうだ。

文章を真似るというのは呼吸を真似るようなものだと思う。吸って、吐いて、吸って、吐いて。同じように呼吸をしているつもりでも、胸の鼓動が違う。息の匂いが違う。文章には書き手の生理がどうしようもなく表れる。

久世光彦の「一九三四年冬―乱歩」「百﨤先生 月を踏む」を読み返す。
“乱歩”の作中作「梔子姫」のぬめぬめと妖しくグロテスクなこと、乱歩以上に乱歩作品といって過言ではないだろう。“百﨤先生”の作中作「青髪」では、いかにも百﨤先生の作品に登場しそうな静かに狂った女がにじり寄る。

おそらくこれらの作中作がなくとも作品を成り立たせることはできたはずだ。そこを敢えて踏み込んだところに、作家久世光彦であると同時に演出家久世光彦である著者の遊び心がうかがえる。
そして乱歩の作品として、或いは百﨤先生の作品として作中作を読みながらも、しっかりと久世光彦の体臭を感じるのだ。

パスティスを舌先で舐めながら読むパスティーシュは甘く湿り気を帯びた老人の匂い。


一九三四年冬‐乱歩一九三四年冬‐乱歩
(1993/12)
久世 光彦



百﨤先生 月を踏む百﨤先生 月を踏む
(2006/04)
久世 光彦


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